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【2024/11/25 00:40 】 |
月ヶ瀬梅渓
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遅い遅い梅の開花。
昨年も遅かった。

月ヶ瀬は梅林ではなく、山に囲まれた“梅渓”と言える場所。
大正11年に奈良公園、兼六園と並び、「国名勝」指定第一号となっている。

今も誰もが知っている前者2名所と月ヶ瀬が比肩するのはなぜか?
月ヶ瀬の梅は1205年の天神社に関わる植樹に始まり、1331年笠置山へ逃げた後醍醐天皇の側女が月ヶ瀬に落ち延び、紅花染の媒染剤「烏梅」の製法を伝えたことで多くの梅が植えられたとされる。
1772年「山里前後、みな梅林なり・・・」と記された書物を皮切りに、韓聯玉、斉藤拙堂、頼山陽など多くの文人墨客が来訪、多くの書物や句となり月ヶ瀬の名は全国に広まった。
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 梅渓道にある句碑










急峻な山肌は梅で埋め尽くされ、谷は渡し船が行き交う。
高い山陰に月が覗き、川面に映える渓谷は古くから“月ノ瀬”と呼ばた。
・・・幕末から明治初期までは10万本とも言われた梅も、烏梅の需要低下と戦時の食糧確保などを理由に伐採され現在は1万数千本。山肌は杉の植林と変わり、渡しのあった川は淀川の治水でダムに沈んだ。
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 江戸末期の観光案内図








現在梅渓として楽しめるのは、尾山地区の山頂付近とダム沿いくらい。
しかしながら至る所にある、著名人の石碑や梅渓道を歩くと歴史を感じる事が出来る。
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 廃れゆく月ヶ瀬梅渓の保存に尽力した冨岡鉄斎の碑







高低差があるので場所にも拠るが、梅の実を取るための白梅はすでに満開。紅梅などがこれから満開になる。
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【2012/03/27 17:14 】 | その他 | 有り難いご意見(0)
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