備前から南下すると瀬戸内市に入る。
岸壁から瀬戸内海を数十m隔てた“長島”へ行く。
昭和5年、国立らい療養所として建てられた元ハンセン病患者の住む療養所へ、所属する“架け橋”という会が園に寄贈した桜の植樹式に参加するため。
植樹式
植樹された場所は海岸に面した斜面。
ここは元々愛生焼という小さな登り窯があった場所らしい。
園内の資料館には愛生焼の職人の写真や当時作られた陶器が陳列してある。
愛生焼はハンセン病患者として隔離され、愛生園に収容された瀬戸や備前の職人が立ち上げた。
備前の陶彫や瀬戸の透明釉は、まさに当時流通していた焼き物。
幹の荒れた桜。地元の品種?
あたたかい地域なのにまだ満開。八重だからなんだろうか?
島から見えるカキの養殖筏
まだ一般人もメディアも取り上げる事が無かった時代、唯一手を差し伸べたのは皇室だったらしい。
山頂には皇室が寄贈した釣鐘や句碑がある。
この鐘は三代目。一代目は昭和初期に生活の改善を求めて暴動となった折、乱打の揚句破損したとか。
元保育士の鈴木京子さんという会の重鎮も同乗。十数年に亘る交流の一端を聞く事が出来た。
面白かったね。楽しかったね。という会ではない。しかし、落ち込んで帰る事でも無い。
元患者はごく普通の人。日常会話をし、近況を聞いて、また会いましょうと言って帰る。
以前も別の療養所の訪問記を書いた。
政府の作り上げる差別は、特定の立場の人間を取りまとめる為に、いつの時代でもあるものなのだろうか?
元患者の口調は穏やか。文章で読むような過酷な環境に置かれた事など感じられない。
乏しい知識の寄せ集めで、考えれば考える程混乱してくる。
今は誰でも出入りできる療養所では“歴史”としてでしか学べないが、精々機会を生かして参加したい。
年々減る戦争体験者と同じく、現役感染者0名のハンセン病も今でしか生の声を聞けない。
追記
顧客から指摘が入った。
「患者に皇室が手を差し伸べたというのはあり得ない。押し込めた側なのだから。」
との事。
ご意見ありがとうございます。勉強します。
PR