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1999年9月30日茨城県東海村の核燃料加工工場で、ウランの入った一つの容器が突然核分裂の連鎖反応を始めた。埃のようなたった1mgで2名の死者を出した。被曝をした彼らは、天文学的な鎮痛剤(麻薬)と毎日10リットルを超える輸血と輸液を受け、苦しい闘病生活を送った末に死に至る。
昨年の原発事故を見てもまだ人間は原子力を操ることはできない。そして、核廃棄物は処理技術もないまま子供の世代へ先送りされる。 中間貯蔵施設は原発から出た放射性廃棄物を一時保存する施設で、再処理工場でプルトニウムに変える。プルトニウムは高速増殖炉(悪名高き“もんじゅ”など)で再度燃料として使えるはずだったのだが、実用化は目処が立っていない。 原発1台で核廃棄物を年間30t生み、その中には広島原爆1,000発分の死の灰が含まれている。 元々日本の原発は非核非戦憲法の下、公然と核を保有する為に中曽根元首相が進めたと言われる。幸い海の無い奈良には原発がつくられなかったが、有事の際には武力で強硬に他国を抑えつける米国の同盟国として、核を保管する施設が格好の標的ともされるだろう。 4月18日、荒井知事は記者会見で核廃棄物中間貯蔵施設を県内でも検討すると発表した。 人間の(特に子供の)生命を守るため、郷土の環境を守るため、原発から出る使用済み核燃料の県内持ち込みに断固反対しよう。原発そのものを廃炉へ、ともに頑張りましょう。 荒井知事による、中間貯蔵施設と瓦礫受入れ前向き発言に対してのご意見は環境政策課までお願いします。 ●環境政策課 0742-27-8502 2004年に京都大学助教の小出裕章氏が下記のように語っている。 ・中間貯蔵施設こそ都会に作るべき もともと、発電所は電気を使う消費地に作るべきものである。そうすれば、膨大な送電施設が必要なくなるし、送電ロスも減らすことができる。しかし、原子力発電所だけはついに都会には建てられなかった。その本当の理由は大事故が怖いためであるが、国や電力会社は強固な地盤や冷却水がないためと説明してきた。しかし、「中間貯蔵施設」には強固な地盤も冷却水も必要ない。そのため、原子力を推進する人は中間貯蔵施設の立地に関して、「金属性キャスクにおいてはどんな土地でも良い、つまり極端なことを言えば都会のビルの地下に保存することも可能だ」と言う。本当に彼らが「可能だ」と思っているのであれば、自分たちが生んだごみは当然都会が引き受けるべきだと私は思う。 (中略) それでも、国の無策な国土計画によって疲弊させられてきた地方の自治体の中には、中間貯蔵施設を誘致して、カネをもらいたいという自治体が出てきた。しかし、昔から「悪銭身につかず」という。自分で働いたのではなく、人から受け取るだけのカネは結局は胡散霧消するだけである。その上、長い目で見れば地域はいっそう疲弊する。「中間貯蔵施設」を作るという動きは、すでに生み出してしまった広島原爆 100 万発分にも相当する放射能を、日本国内に1カ所あるいは2カ所、多くても数カ所に押し付けようとする動きのことである。そのごみは 100 万年にわたって管理が必要なごみである。 PR |
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