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このブログを読んでいただく方なら御存知の方も多いが、私の妻はタイ人であって義理の父はタイ人。義母はラオス人。
妻はわがまま言い放題の末っ子で、寿命の短いタイではすでに父母は長寿の域。 昨年から聞いてはいたが、先月になって父が「日本へ行きたい」と強硬に意思表示をしてきた。 年に1度ほど。妻が帰省するとン十万掛かる。 半月から1年ほど子どもを連れて帰省する。航空券は知れているが、日本人と結婚したタイ人の見栄が花開くのか、日雇い労働者いやほぼ無職の兄貴に集られるのか・・・ いやそんなことはどうでもいい。長期滞在はなんせお金が掛かる。 訳のわからない妻の日本語を聞いていると、交通費は父母が出すから日本から招へいする書類を作ってくれとの事らしい。 結局は後日交通費も徴収されるのだが、そこまで言うなら。と重い腰を上げた。せっかくなので、ダメ元でタイ国籍よりさらに難しいラオス国籍の母の招へいも試みた。
2か月後、意外とすんなり通ったようだ。
5月19日に関空へ迎えに行く。
見てみたかった、わが娘の住まう日本へ来れたにもかかわらず、母は寝てばかりいた。
働き者の母もさすがに疲れたのか。と思っていたが2週間経っても一向に良くならない。
またもや訳のわからん妻の説明を聞くと「胆石がどうのこうの」。さっそく病院に連れていきCTを取ってもらった。
白黒のフィルムに写る肺らしき物にはゴマ塩のような点々がいっぱい。
「悪性の腫瘍だ。転移元は判らないが肝臓もひどい。日本で遊んでいる場合じゃないからさっさと国へ帰って治療を受けろ」と言われた。
タイは皆保険が無い。だから余程でない限り病院へは行かない。
寝たきりになって、病名も知らず、苦しんだ挙句にあの世へ行っていたかも知れんな。
私の実の母は、弟を生んだ後植物人間となった。
今は流動食を口から食べているが、話も出来ないし、左手が少し動くくらい。
父は脳内出血で障害が残り、十数年に亡くなった。
私の幼少時を見てくれた祖母は骨のガンで、顔の骨格が無くなり見るも無残な状態でも自ら息をしていた。
意外と長生きした祖父は、数年前に寝たきりのまま静かに息を引き取った。
20代の頃は無我夢中で、自分に死があるなんてことは思えなかった。30代に入り、“死”ということを身近に感じるようになり、ごく普遍的なものなのだと思うようになった。
年老い、近い死期を感じ、心穏やかに佇む母に何も言葉はいらない。同じ空間に身内が居ることで満足してくれているのだろうと思いたい。
タイの母は数か月後に亡くなるのだろう。
数か月遅れていたら自分で歩けなかったかもしれない。この時期に、日本へ連れてこれてよかった。
妻に知り合って半年後。姉の家へ遊びに来ていた母に会った。無表情だったが好感を持ってくれたらしい。
いつも義母は、遠くにいる私を心配してくれた。実の息子のように。
ごくごく小さなことだが、父母が喜んでくれた親孝行ができたであろう事がとてもありがたい。
追記 9月29日早朝、義母は亡くなりました。お気遣いいただいた皆様に、心よりお礼申し上げます。 PR |
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