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23日午後から、天理市の夜間中学にて「聞かせて!ハルモニの昔の話 ~植民地にされた朝鮮~」という市民講座が開かれた。
在日1世として天理市近隣に住まい、夜間中学に通うおばあさんたち5名の体験を聞く会である。 夜間中学では、祖国や日本で義務教育を受けていない人を受け入れている。外国人に限ってはいない。 司会者と朝鮮侵略に主観を置いた啓発映像をベースに話が進む。 明治初期の愚かな征韓論に始まり、韓国併合、武断政治・・・。 前に座るおばあさんたちの年齢は80~90歳代。祖父に聞いた“三・一(サムイル)独立運動”、子どもの頃経験した“産米増殖計画”“皇国臣民の誓詞”“創氏改名”。国土拡大、植民地として、日本のルーツとも言える長い歴史も、本人たちの生活も蹂躙された歴史。 しかし本人たちは女性であり、朝鮮でも日本でも教育を受けていない。何もわからず、疑問を抱きながらも服従するしかなかった。「今から思えば腹が立つ」という意見は、同情したい反面、自らの事ではなく他人事のようにも聞こえる。 会場は30名ほどか。聞き手は闇に葬られたような本音を探りたいので執拗に質問するが、おばあさんたちにとっては高々2時間ほどで語れることではないし、深く思い出したくもないことかもしれない。話しながら過去の感情に包まれ涙ぐむ姿も見られた。 終盤には九州の炭鉱に仕事を求めた話となり、トロッコに石炭と共に死体も積んでいたというような具体的な話になると、同じ前に座る2名のおばあさんは拒絶を始めた。 この人たちが当時の日本人から見下されていたアジア人であったこともあるだろうが、日本人であってもこの時代の人は苦労をし過ぎている。 深く深く刻まれた皺と、人を射るような視線が辛い。 その時代の個々の立場は異なると思うが、その時々の時代の影響は大きい。時代が人をつくるのだと思う。 自分たちより二代も三代も上の人で、生の話を聞いたところで実感を持てる訳でもない。 しかし、だ。“過ぎ去りし過去の事故”と立ち入らない訳にもいかない。 いま日本に住む在日1世の多くは、強制連行ではなく植民地時代に自主的に来日した人が自分の知る限りでは多い。 辛いことばかりではなかった。親身に助けてくれた日本人もいただろうし、今このような場に居られる事もしあわせである証拠でもあるだろう。 “一億総懺悔”の教育を受けた自分でも、先入観を横に置いて、目の前に居るおばあさんたちの人生を真摯に感じたいと思った会だった。 たまたま今寝る前に読んでいる本が司馬遼太郎の“街道を行く”の2巻目。朝鮮南部の旅行記だ。 60年代の朝鮮を訪問し、たまたま遭遇した老人たちの宴に入る。 「イルボン(=日本)から来たのか?」と歓迎される。悪夢の日本統治36年を現役で受けた人々である。 何故、日本人など歓迎できるのか? 筆者も不思議だと記している。 PR |
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