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待望のタタラ製造機。数台売却予定。
簡易な入札としますので、御希望の方は希望額を添えてこちらから→メールをおねがしいます。電話での入札は不可。他のアカウントから送られると見落とす可能性があります。必ず上記メールリンクからお申し込みください。 質問のみはこのブログにコメントをいただいても、他の当社メールアドレスから送っていただいても構いません。 それぞれ画像も入ってきておらず、とりあえず入札額の高い方から交渉順位を決めさせていただきます。 入札締め切りは6月末日。 データ提示及び交渉は7月半ばの予定。 入札後、画像や仕様を見てキャンセルも可能です。 売れ残り、制約に至らない物件は、通常通りの会員向けDM配信→自社サイトで公開となります。 ① メーカー 長門機械 板製造可能範囲 600mm 動力源 100V電動 最低入札額 20万※送料梱包費含む 今は陶芸機器から撤退した有名な機械メーカー。 電動タタラ機では橘鉄工所が有名だが、簡易構造ながらも価格的に評価が高い。 6/27 9:34 25万 ② メーカー グット電機 型式 TS-24型 板製造可能範囲 600mm 動力源 手動 最低入札額 10万 6/19 16:11 11万 ③ メーカー 日本電産シンポ 型式 NSRC 板製造可能範囲 400mm※実測500mm 動力源 手動 最低入札額 7万 6/19 16:11 7.5万 ④ メーカー brent 型式 src 板製造可能範囲 800×600mm 動力源 手動 最低入札額 5万 メーカーも製造中止している機種。ワイヤー張りのため加圧が利かない。 手でたたき伸ばした物を、平らにする、仕上げる程度のもの。 それぞれネットで検索してみてください。 探せない方には私から参考になるページをご連絡します。 また、タタラ機は一定方向から加圧するため、焼成後も歪の無いタタラ板をつくるには数回の加圧が必要です。 どの機種を使っても、使う意義があるかどうかは使い手の焼き物に対する認識と研究に因ります。 初めて使われる方、判らない方は事前にご相談ください。 PR |
このブログを読んでいただく方なら御存知の方も多いが、私の妻はタイ人であって義理の父はタイ人。義母はラオス人。
妻はわがまま言い放題の末っ子で、寿命の短いタイではすでに父母は長寿の域。 昨年から聞いてはいたが、先月になって父が「日本へ行きたい」と強硬に意思表示をしてきた。 年に1度ほど。妻が帰省するとン十万掛かる。 半月から1年ほど子どもを連れて帰省する。航空券は知れているが、日本人と結婚したタイ人の見栄が花開くのか、日雇い労働者いやほぼ無職の兄貴に集られるのか・・・ いやそんなことはどうでもいい。長期滞在はなんせお金が掛かる。 訳のわからない妻の日本語を聞いていると、交通費は父母が出すから日本から招へいする書類を作ってくれとの事らしい。 結局は後日交通費も徴収されるのだが、そこまで言うなら。と重い腰を上げた。せっかくなので、ダメ元でタイ国籍よりさらに難しいラオス国籍の母の招へいも試みた。
2か月後、意外とすんなり通ったようだ。
5月19日に関空へ迎えに行く。
見てみたかった、わが娘の住まう日本へ来れたにもかかわらず、母は寝てばかりいた。
働き者の母もさすがに疲れたのか。と思っていたが2週間経っても一向に良くならない。
またもや訳のわからん妻の説明を聞くと「胆石がどうのこうの」。さっそく病院に連れていきCTを取ってもらった。
白黒のフィルムに写る肺らしき物にはゴマ塩のような点々がいっぱい。
「悪性の腫瘍だ。転移元は判らないが肝臓もひどい。日本で遊んでいる場合じゃないからさっさと国へ帰って治療を受けろ」と言われた。
タイは皆保険が無い。だから余程でない限り病院へは行かない。
寝たきりになって、病名も知らず、苦しんだ挙句にあの世へ行っていたかも知れんな。
私の実の母は、弟を生んだ後植物人間となった。
今は流動食を口から食べているが、話も出来ないし、左手が少し動くくらい。
父は脳内出血で障害が残り、十数年に亡くなった。
私の幼少時を見てくれた祖母は骨のガンで、顔の骨格が無くなり見るも無残な状態でも自ら息をしていた。
意外と長生きした祖父は、数年前に寝たきりのまま静かに息を引き取った。
20代の頃は無我夢中で、自分に死があるなんてことは思えなかった。30代に入り、“死”ということを身近に感じるようになり、ごく普遍的なものなのだと思うようになった。
年老い、近い死期を感じ、心穏やかに佇む母に何も言葉はいらない。同じ空間に身内が居ることで満足してくれているのだろうと思いたい。
タイの母は数か月後に亡くなるのだろう。
数か月遅れていたら自分で歩けなかったかもしれない。この時期に、日本へ連れてこれてよかった。
妻に知り合って半年後。姉の家へ遊びに来ていた母に会った。無表情だったが好感を持ってくれたらしい。
いつも義母は、遠くにいる私を心配してくれた。実の息子のように。
ごくごく小さなことだが、父母が喜んでくれた親孝行ができたであろう事がとてもありがたい。
追記 9月29日早朝、義母は亡くなりました。お気遣いいただいた皆様に、心よりお礼申し上げます。 |
岡山県の内陸部。備前へ向かって川沿いを南下していると「新見市法曽陶芸美術館(だったか?)」なる辺鄙な場所で看板が目に入った。
ムラ興しか?と横目で見ながら走り過ぎたが、数百m走ったところでUターン。
川の支流、山間部の里道をくねくね登って行く。
ところどころに先ほどの公的な看板とも、内容も異なる手作りの看板がちらほら路肩に刺さっている。廃校になったであろう小学校に着いた。
「猪風来美術館」チョフウライ?
眠りこける子どもと嫁をトラックに残して一人入って行く。
「いらっしゃいませ。」見た目と環境に似合わず愛想のいい対応だった。
猪風来(いふうらい)さんに初めて会った日。
質問していると、関心があるなら勉強しに来てもいいとの事で、数か月後、片道5時間かけてまた出向いた。
2日間に亘るド派手な野焼き。この時は大物焼成のため、集中したいから知らない人は入れたくないといいながら、スタッフとして招き入れてくれた。
あれから2年ほど経つ。
こちらが業者だから気を使っておられるのか?遠いからなのか。それともフィーリングが合わなかったか?以後、お呼びは掛かっていない。
しかし、個人的には何度でも行きたい。もっと作品をまじまじと見たい。
緻密な造形は細部まで丁寧な作りで、何より焼成の不可思議を目の当たりにした。イベントで行われる生焼けの野焼ではないことは一目瞭然。よく焼かれている。
この迫力は何なんだろう?
この意匠はどこから生まれてくるのだろう?
何の利害関係もなく偶然立ち寄った先で得た感動を、記事を読んていて思い出した。
相いも変わらず各地で活躍されているのだろうなあ。
身近な所にも一言でいえば「変わっている」、普遍的でないアーティストがいる。
その中の一人ではあるが、猪風来さんからはまた異なるモノを感じる気がする。それが何なのか知りたいが、それこそ、そのような境遇に身を置かねば判らないことなのかもしれない。
猪風来美術館
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1999年9月30日茨城県東海村の核燃料加工工場で、ウランの入った一つの容器が突然核分裂の連鎖反応を始めた。埃のようなたった1mgで2名の死者を出した。被曝をした彼らは、天文学的な鎮痛剤(麻薬)と毎日10リットルを超える輸血と輸液を受け、苦しい闘病生活を送った末に死に至る。
昨年の原発事故を見てもまだ人間は原子力を操ることはできない。そして、核廃棄物は処理技術もないまま子供の世代へ先送りされる。 中間貯蔵施設は原発から出た放射性廃棄物を一時保存する施設で、再処理工場でプルトニウムに変える。プルトニウムは高速増殖炉(悪名高き“もんじゅ”など)で再度燃料として使えるはずだったのだが、実用化は目処が立っていない。 原発1台で核廃棄物を年間30t生み、その中には広島原爆1,000発分の死の灰が含まれている。 元々日本の原発は非核非戦憲法の下、公然と核を保有する為に中曽根元首相が進めたと言われる。幸い海の無い奈良には原発がつくられなかったが、有事の際には武力で強硬に他国を抑えつける米国の同盟国として、核を保管する施設が格好の標的ともされるだろう。 4月18日、荒井知事は記者会見で核廃棄物中間貯蔵施設を県内でも検討すると発表した。 人間の(特に子供の)生命を守るため、郷土の環境を守るため、原発から出る使用済み核燃料の県内持ち込みに断固反対しよう。原発そのものを廃炉へ、ともに頑張りましょう。 荒井知事による、中間貯蔵施設と瓦礫受入れ前向き発言に対してのご意見は環境政策課までお願いします。 ●環境政策課 0742-27-8502 2004年に京都大学助教の小出裕章氏が下記のように語っている。 ・中間貯蔵施設こそ都会に作るべき もともと、発電所は電気を使う消費地に作るべきものである。そうすれば、膨大な送電施設が必要なくなるし、送電ロスも減らすことができる。しかし、原子力発電所だけはついに都会には建てられなかった。その本当の理由は大事故が怖いためであるが、国や電力会社は強固な地盤や冷却水がないためと説明してきた。しかし、「中間貯蔵施設」には強固な地盤も冷却水も必要ない。そのため、原子力を推進する人は中間貯蔵施設の立地に関して、「金属性キャスクにおいてはどんな土地でも良い、つまり極端なことを言えば都会のビルの地下に保存することも可能だ」と言う。本当に彼らが「可能だ」と思っているのであれば、自分たちが生んだごみは当然都会が引き受けるべきだと私は思う。 (中略) それでも、国の無策な国土計画によって疲弊させられてきた地方の自治体の中には、中間貯蔵施設を誘致して、カネをもらいたいという自治体が出てきた。しかし、昔から「悪銭身につかず」という。自分で働いたのではなく、人から受け取るだけのカネは結局は胡散霧消するだけである。その上、長い目で見れば地域はいっそう疲弊する。「中間貯蔵施設」を作るという動きは、すでに生み出してしまった広島原爆 100 万発分にも相当する放射能を、日本国内に1カ所あるいは2カ所、多くても数カ所に押し付けようとする動きのことである。そのごみは 100 万年にわたって管理が必要なごみである。 |
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1358
Fotgazet通信・26年目のチェルノブイリ最新報告子供の内部被曝30-40Bq/kg86年後の廃炉 内部被曝した野鳥 |
これだけわーわーと原発反対と言ってるからには、自社でも製品の被曝値を出さなければならない。
そうは思って機器を調べ始めたが、結果的に社内検査では不可という判断となった。 野晒しにされている原料は空間線量計では計れない。 放射能の性質を把握していなければ正確な数値は出せない。 で、どうするのか? 地元の詳しい方に相談した。 ※今年3月の返答 現在畑に入れるものすべて(腐葉土とか萱とか落ち葉とか)測っているのですが1ベクレルも出てきていません。 雨ざらしになっているものも出てきません。 ~中略~ そして私たちは、土は多かれ少なかれ薬品処理をしていなければ土壌微生物がいるので放射能を何らかの形で分解していると考えます。 (チェルノブイリでは放射能を食べるバクテリアが発見されました。) おおよそのベクレルの数値を見て今後の計測方法を考えることが必要かと思います。 10万円ほどのガイガーであっちこっち測ってみたけど 日照条件に左右されたりで信頼のおける数値は出ませんでした。 調べてみたら http://www.pref.nara.jp/secure/62223/koukabutsu-2kekka.pdf 奈良県で一番出てきても乾土で昨年の夏に4ベクレル なのでこれを線量で測ると0.072マイクロシーベルト(間違っていたらすみません。) 県の数値が信頼できるかどうかはわかりませんが、そうすれば現在だったら0.001~0.05くらい測れるのでないと難しいと思いました。 雨で蓄積されてきたとしても、やはり自然放射能に左右されるくらいの線量だったらなかなか計測が難しいように思います。 以上 そしてこの方のお勧め計測機は【ベルトールド社 NaI(TI)ガンマ線スペクトロメーターLB2045(検出限界1Bq/kg)】 300万円程度 これを買うのも、うちのような零細企業には無理だ。 こんな文章を作っているところへ電話が掛かってきた。 同年代の女性のようだが、「制作中の原料から受ける被曝が気になる」と知り合いに相談したら、「西浦商事なら計測しているかも?」と紹介されたらしい。 残念ながら、歯に物の詰まったような回答しかできなかった。 深刻な口調の彼女にも、推薦してくれた方にも申し訳ないばかりだった。 どうする? これから。 |
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過去にも書いた事がある“月ヶ瀬健康茶園”のイベントの一つ。
日時 6月2日(土)10:30~15:00 参加費 中学生以上2000円/人 定員 50名 申込期間 5月10日~25日 弁当持ちで、急峻な茶畑にある無農薬茶を手摘みする。 なんて優雅なんだっ! 戦後、(いやもしかしたら明治期からあるのかもしれない。)紅茶の規制が掛かっていたころは、となりの山添村も含め月ヶ瀬でも紅茶がつくられていたらしい。 品種は「やぶきた」という古来のものを使う。ウーロン茶を勉強している人からもすぐに出てきた名前だから、きっと有名な品種なんでしょう。 月ヶ瀬紅茶。ムーンロックと名付けられたこの紅茶は、わが事務所でも愛飲している。 団塊世代の事務員は「昔の紅茶の味がする」と甚く気に入っている。 昨年11月には園主がインド北部のダージリンへ行って学んだことの報告と、茶山で弁当を食べ、古き良き日本の紅茶を飲み比べるイベントがあった。 この茶園に関わる人々も多く、非常に質の高いイベントだったと思う。 これが、2こ上の先輩夫婦がやっているのだと思うと、心から尊敬の念を抱く。 農薬から、土壌から、虫から、放射能まで、周りの反応は「やり過ぎでしょ」とか、「採算合わない」という声も良く聞く。 いやいやしかし。 自分の信念を貫く姿勢があって、現在の結果があり、きっと未来も見えている事と思う。 爪の垢を煎じて飲むつもりでこのイベントにも参加したい。 ご希望の方があれば資料をお送りします。 |